”ちょっと”昔の鉄道アーカイブ

今では見られなくなった鉄道車両、駅、路線、その他鉄道に纏わる記録

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

#128

(2009年8月30日) 糸崎駅にて、湘南色鉄仮面の113系。

#127

(2012年12月25日) いわゆる「石北貨物」の任に就く鷲別機関区のDD51。北見にて。

#126

(2006年8月8日) 臨時「しなの」の運用に就く381系。JR東海では2008年まで活躍していました。

#125

(撮影日不詳、2006年頃) 今はクルーズトレインとして走る「カシオペア」。ますます庶民には手が届かない存在になってしまいました…

#124

(撮影日不詳) 既に東海道線からは引退した211系。画像は113系からのグリーン車転用が始まる前、まだ平屋グリーン車が連結されていた時代。

#123

(撮影日不詳) 東北本線で運用されていた417系。スカートの形状が独特でした。

#122

(2009年8月30日) 「食パン」の愛称で親しまれていた419系電車。特急型、それも寝台型電車を近郊型に改造するなんて、今後はまず起こりえないでしょうね。。

#121

(2006年4月1日) 写真的には今一つですが…国鉄色9両編成時代の583系。

#120

(2007年1月13日) 形式消滅してしまった183系。この写真を撮った当時は田町、大宮、幕張など各所に波動用編成が配置されていて、首都圏では何かと見かける機会の多い車両でした。

#119

(2006年8月8日) 個性的なカラーリングの113系が活躍していた頃の福知山線。屋根上には、古い車両の証であるグローブ型ベンチレータが見えます。

#118

(撮影日不詳 2005年頃) 今やたった1両を残すのみとなったEF66-0番台。この頃はまだまだ一ケタ機も多くが健在でした。

#117

(2012年12月24日) 廃止となった留萌本線の末端区間。残された区間も果たして…。増毛駅にて。

#116

(2015年2月28日) 在りし日の「トワイライトエクスプレス」。市振駅にて。

#115

(2009年11月9日) 国鉄民営化からも早30余年が経過し、JR初期に登場した車両は次第に姿を消しています。画像は、既に成田エクスプレスから退いた253系。

#114

(2006年8月) 大阪環状線を走っていた103系。2017年まで、大阪のど真ん中で103系が走っていたなんて…。

#113

(2006年10月15日) 14系ジョイフルトレイン「浪漫」。まだこの頃はJR東日本にも機関車が数多く残っていて、どの機関車が牽引するかも楽しみの一つでした。

#112

(撮影日不詳 2005年頃) 運行末期の急行「銀河」。

#111

(2006年7月?) かつてDD51+12系という組み合わせで運転された臨時列車「烏山山あげ祭り号」。「北斗星」とのすれ違いシーン。

#110

(2010年11月10日) 国府津から幕張に転属した113系のうち、この117編成は湘南色に戻されて活躍。臨時列車として、何度か東海道線への里帰りを果たしたこともあったり。

#109

(2010年11月10日) 東海道線で役目を終えた113系のうち、比較的若い車両は廃車を免れ、幕張へ異動。この115編成のそのうちの一本でしたが、幕張での活躍も長くはありませんでした。

#108

(2006年4月4日?) 役目を終えた東海道線の113系のうち、比較的経年の浅かった2階建てのグリーン車だけは抜き取られ、211系へ。今となってはその211系からもグリーン車が消えています。

#107

(2006年4月4日?) 2006年3月をもって引退した東海道線の113系。その多くは廃車解体のため長野へ。それまで通学に当たり前のように使っていた113系が次々と廃車回送されていくというのは、なかなか受け入れ難いことでした。

#106

(2006年3月15日) いよいよ引退間近となり、惜別HMを掲出した113系。友人に借りた一眼レフカメラに祖父の遺したレンズを組み合わせて撮影した、思い出深い2枚です。

#105

(2006年3月4日) 既にこの時、引退が2週間後に迫っていた113系。この時はさよならHM掲示準備のため、貫通扉部分の手すりが一本撤去されていました。

#104

(2006年1月21日) 東海道線東京口の113系にとって最後の「雪」となった、2006年1月21日。

#103

(2006年1月15日) 根府川~早川を行く113系。このK69編成は最後まで残った4編成のうちの一本でした。

#102

(2006年2月14日) 特急待ち合わせのため、大船駅で停車中の113系。私が写真を撮っていると車掌さんが声をかけてくださり、「好きな幕にしてあげるよ」と言って「急行」幕に。忘れられない思い出です。

#101

(2005年8月19日) 一見何の変哲もない113系。ですがこのS85編成、前面の塗分けに若干の特徴がありました。そんなバリエーションの豊かさも、113系国府津車の魅力だったのです。

#100

(2005年8月6日) 東海道線東京口の113系のうち、一部は横須賀線からの転入車両。多くはタイフォンが下にある1000番台でしたが、タイフォンとヘッドライトの位置が高い1500番台(右)も2両だけ存在していました。

#99

(2005年5月29日) 東京口で活躍していた113系のうち、最後まで残っていた「非ユニット窓車」、つまり最古参がこのサハ111-1015でした。